小林英治建築研究所
建築家のエッセイ
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2004.10.10 (家づくりの会ホームページ掲示板に記述)
先日85歳になる母が、台風の後を追いかけるように単身九州の別府から船に乗り、私に会いに来ました。もう動けるのが最後だろうからと言い、長野、宇都宮と東京にはじっとしていませんでしたが、1週間ほど一緒に居る事が出来ました。母は十年前の75歳の時胃癌になり1/5の胃を摘出し、普段から痩せていた母がさらに細くなり可哀相でしたが、本人は至って元気で手術の2年後の77歳になった時、体力を確かめる為富士山に登りたいから付き合ってくれと頼まれた時は、ビックリ仰天し反対しましたが、母よりこちらの都合で猛烈に反対しました。私はかつて二度富士山に登った事があり、三度登れば云々と言う事もあるし、一度は徹夜で登り死ぬほど辛かった経験があり、以来山登りは嫌いになり二度としていませんが、そんな事も頼まれれば忘れてしまい結局三度目に挑戦しました。山頂では、こんな老人の登頂は記録ではないかと言ってくれる山小屋の人が居ましたが、隣には松葉杖で片足の悪い人も居たりしました。結果は、行きは良い良いで上りは目的もあるし楽しく話しながら登りましたが、下山が辛かった。正直、母を捨てて帰りたいと思った事等を思い出して懐かしい。

母は70歳になった頃、何を思い立ったか急に陶芸を習い始め、最近では数限りない賞を頂く迄になって、今では陶芸教室の先生と呼ばせない先生ですが、始めるのが10年遅かったと嘆いています。お花や木目込み人形の師範を持ち、盆景に凝ったり、毎日刺繍に明け暮れ、挙句に学校のグランドピアノに掛けてくれと学校に届けて私を赤面させたりしたが、ようやく70にして天職を見つけたようだ。私はそんな母に、何かにつけ似ているようです。



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