小林英治建築研究所
建築家のエッセイ
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2001.5
昨年の10月だったか、友人宅にお邪魔して酒を飲みながら歓談していたらすっかり酔っ払ってしまい、明日が早いからと辞去したのが、夜の10時半頃だった。そこは玄関を出てから数歩行った所に外階段がある。機嫌よく酔った勢いで、その階段の最上段に足を乗せた途端、体が宙に舞った。体が階段と平行に浮かび、やがてものすごい音とともに数段下の階段に打ち付けられてしまった。体が空中にあるほんの数秒の間に「あっ、落ちる。頭をぶつけるといけない」との思いで、両手でしっかりと頭だけをかばっていた。「ぎゃふっ」と声が出たような落ち方だったが相当うまい具合に落ちたらしく、丁度お尻と頭の所が階段の踏面にすっぽりと入った形になっていて、お蔭様で頭こそ打たなかったが、強かに胸を打ちしばらくは息も出来ず立ち上がる事も出来ずにそのまま横たわっていた。兎に角起きなければと何とか体を起こしてしゃがんでみたものの息が出来ず、胸が苦しくただ両手で胸を抱いてただうつむいている事しか出来なかった。この物音が友人に聞こえて駆けつけてくれれば困ると最初に考えたが、丁度そんな時友人が玄関の鍵を掛ける「カチャッ」という音が聞こえて、ああ醜態を見せずに良かったと安心したが、鍵のかかる音がその時ほど寂しく感じた事は無い。

やがて体が湿ってきて、雨が降っていたことに気づきそれで滑ったんだなと理由は解った。動けないまま、何故落ちたんだろうとあれやこれや思いを巡らせると、おぼろげながら解ってきた事がある。僕は階段を上る時は2段づつ飛び越えて登る。下りは何とは無くリズムをつけてコトコトッと降りる癖がある。よくよく考えてみると上りと下りの歩き方に、意識の違いがありそうだ。上りは、自然に一歩を出せば自動的に上ってゆける、そんな気がする。一方下りは、第一歩に「ようし下るぞ」といった意志が働いているようで、ほんの少しだけ力が入ってしまうようだ。そのかすかな力が滑らせる原因となったようだ。山登りでも登りより降りの方に気を使う事も頷ける。先年僕の大好きだった歌手の松尾和子も階段での事故で亡くなった事を思い出し、落ち着いたら建設白書か何かで、階段で事故死した人が年間何人位いるのか調べて見ようなどと考えたりした。そこまで考えて、雨に濡れすっかり冷えきった体を起こし、もう帰らなくてはと置いてあった自転車に乗り、側から見ると何でも無かったように見えるだろうと思いながら帰ったが、動けずに20分位そこにしゃがんでいたようだ。その日はそのまま眠ってしまったから良かったが、次の日からが大変だった。

まず朝起きようとすると、首が痛くて頭が上がらない。おまけに腹筋も異常に痛くて起き上がることが出来ない。頭は右手で支え、体を横にして滑らせるようにして起きたりした。僕は畳の部屋で寝るのが好きなのだが、今の住まいには和室が無く幸いにベッドだったから良かったようなものの、これが布団だったらうつ伏せにでもなり海老にようにして起きたのだろうかと考え、一人可笑しかったり、青くなったりした。僕は痩せ型なので背骨を打って痛めていたら嫌だなと思っていたが、背骨は何とも無く首と腹筋だけが痛くてどうにもならなかった。次の日は起きられず、二日目に病院に行ってレントゲンで調べてみてもらうと、骨に異常は無くただ湿布薬だけをもらって帰った。ようやく落ち付き、この事を娘に話すと「お父さんはよく階段から落ちるね」と侮蔑され、私は頭も打たずに上手に落ちた事を自慢したかったのだが「ただ落ち慣れているじゃないの」と取り付く島も無い。しかし、私は誰かに守られているとの意識が強い。初めて長野に行ったその正月の初詣に、下駄を履き和服でカッコウ付けて大股で車道を横切り、歩道に足を掛けた途端に滑ってひっくり返った事がある。その時は今より長髪ではあったが、ひっくり返った頭の後ろ髪が何かに触れ、思わず何だろうと振り向いてみると、何とそこには低い石垣の石が真後ろにあり、思わずゾーと背筋が寒くなった事がある。その時3Cmも頭をもたげる事が出来なかったら、確実に打ち所が悪く死んでいたかも知れないと、そう思うと誰かが僕を守っているのだとの思いが強くある。私には、そんな思いが度々ある。話を階段に戻すと、私は4・5年前にひざ小僧に石灰が沈着したと医者が言う奇妙な病気をした事がある。足を伸ばせば曲がらない、曲げてしまうと伸ばせない。その為に随分苦労したし、トイレなどの話は笑い話になりかねないので階段の話に専念すれば、あちこちで落ちてしまった。大塚の事務所では3・4回落ち、周りの人が大丈夫ですかと駆け寄ってきたが、その度に大丈夫ですと笑いながら答えていたけど、体は擦りむいたり痣だらけだった。そんな事が度重なり、私は階段が怖くなっている。建築家として階段の設計は上手では無いが、それでも好きだと言える物なのだが・・・。(つづく)



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