小林英治建築研究所
建築家のエッセイ
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2004.2.15 (家づくりニュース2004年3月号に投稿)
信州から上京して、かれこれ10年近くになるが、左ハンドルの愛車を捨て専ら動くのには電車を利用している。今思い返すと危ない話だが、私は車を運転しながら考える事が好きだった。いつもは遠出をするとき所員が運転したがる車を、考え事が在る度に「ちょっと替わってくれ」と言って自分で運転していた事を思い出す。そんな習慣も上京と共に消えうせ、まるで考える事を忘れてしまったかのような気分にさせていた。そんなある日、事務所を訪ねてきた友人が読みかけの本を忘れて帰った事がある。私が25年近く前に読んだ司馬遼太郎の「国取り物語」だった。友人が返して欲しいと言うので、小一時間電車で返しに行く道すがら読み返すと面白くなり、返した後すぐ本屋に立ち寄り文庫本を買い求めて読んだ。

30年前私の長男が生まれた時、NHKの大河ドラマで「国取り物語」が放映されていた。確か平幹二郎だったか、演じる斎藤道三のヘヤ−スタイルが生まれたばかりの長男のヘヤ−スタイルと全く同じだった事が快感を呼び読み始めた本だった。長男の出産は難産だった。吸盤で頭を掴んで無理やりこの世に生まれ出て来た長男の頭には、吸盤が付着した所だけ髪の毛が無かった為である。耳の上と襟足の所だけがふさふさとしていて、ほぼ頭の全域が吸盤で覆われていた事を物語っていた。その事が不憫でならず、見る度に悲しい思いをしていたが、「国取り物語」を見る度に道三が生まれたようだと、マムシの道三と言われる人物に親近感を持った事などを思い出しながら読み返していった。歴史小説は読み出すと面白く、道三から現代まで順を追って読んでみようと考え、信長・秀吉・家康と読み進め、幕末の松蔭・竜馬・榎本武楊・西郷さんと続け、日清・日露戦争・山本五十六と読み終えたところである。専ら文庫サイズの司馬遼太郎が多かったが、約500年の歴史を足掛け6年で読んだ事になり、駆け足ながら歴史書だけで80冊を超えた。何れも電車の中だけの読書であったが、車を運転していた時には、読む事の無い小説であったかも知れないし、家に帰るとTVで放映された映画のビデオを2・3本ハシゴして見るのに忙しく、とても本など読んでいる暇は無かったかも知れない。かつて履歴書の趣味欄に読書などとは書いた事が無いが、今では私の読み方は「趣味」としか言い様が無いような気がする。もういくら読んでも血や肉にならず、趣味として楽しく読み、終わったら忘れてしまう。そんな読み方だが竜馬を読んでいる時には、私のそばに竜馬がいつも居るような気がし、死んでしまうと言い様の無い寂しさにとらわれた。松蔭の時も、西郷さんの時も、五十六さんの時も皆同じような気分にさせられたが、思えば日本には随分立派な人が居るし個性的な人が居たものだと感心させられ、自分も負けずに頑張らなければと思いながら、ついつい怠けてしまう。もう心機一転して巻き返しが出来るほど若くは無くなったのが残念だ。

私は昔から好き嫌いがハッキリしていると言うか割と凝り性で、作家も気に入ると全てその人の作品を読まなければ気がすまなくなる。夏目漱石・大江健三郎・高橋和己が好きでほぼ皆読んだ。砕けた所では松本清張や立原正秋あたりを読んだりした。五十歳を過ぎたあたりから、あの癇癪持ちの志賀直哉の短編が好きになり、今ではその弟子の阿川弘之が書いた「志賀直哉」が面白かったので、今は阿川さんの作品を何冊か読んでいるうちに、古本屋の店頭に並んでいた「山本五十六」が目をひき、著者が阿川弘之だったのと自分の年が丁度56才だったので、読み頃かも知れないと思いついつい買ってしまった。実はこの本がとても面白かった。随分丁寧に調査して書いてあるのと、五十六の何気ない一言にも著者の考えが及び、充分考察され読む者を厭きさせず著者の機微や頭の良さが窺い知れて心地良い。海軍物や伝記が多いようだが、人間が好きでたまらず人の事を書いているようで、伝記を書いている人への深い愛情を感じるものだが、五十六さんの遺族からは訴えられたりして、他人と近親者では随分受け取り方が違うのかも知れない。

これから誰を読み、どんな楽しみに接するのか見当もつかない。何れにしても、私にとって電車の中だけでのささやかな楽しみであるが、思えば車を捨てた為に得たこの5・6年の移動時間は、ともするとただ移動するだけに終りかねないものを、歴史上の人物に触れ自分との落差を確認する作業にし得る事が出来た事は、何物にも替えがたい事だと思っている。
ここで格言を一つ。「若者よ、車を捨て、電車に乗ろう」



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